2012年4月20日金曜日

ネイビーブルーに恋をして


昭和20年の今日4月7日14時23分。
戦艦大和が沖縄沖に沈没しました。
今日は、二つの大和映画について書いてみます。

テレビのなかったうちにディスプレイが届き、大画面で最初に観たのが「戰艦大和」であった、
という話をさせていただいたのですが、この映画「戰艦大和」、1953年作品の、勿論白黒です。

「連合艦隊」「山本五十六」「ミッドウェイ」・・・・・。
戦艦大和の出てくる映画は数あれど、「大和」とタイトルにつけ、大和が主人公の映画は、
「宇宙戦艦ヤマト」をのぞけば、この「戰艦大和」「男たちの大和」二つです。

かねがねこのブログを読んで下さっている読者の方は、
エリス中尉が2006年作品の「男たちの大和」にいかに点が辛く、逆に、
終戦後すぐに作られた白黒の戦争映画に評価が甘いかよくご存じだと思いますので、
この二つの映画をタイトルに選んだ時点で、だいたい結果ありきの、
「前者下げ、後者上げ」の内容ではないか?と思われたでしょうが、
誤解のないように言っておくと、「男たちの大和」は、良い映画だと思います。
ドラマとして。

戦争を舞台にした人間ドラマとして、この映画が感動的であることを否定はしません。
でも、それは普遍的なドラマとしてであって、
「大和を描く」「戦争そのものを描く」とはまた違う観点のものだと思うわけです。
「男たちの大和」の監督は、反戦をテーマにしている、とはっきり言い切っています。

といいつつ今日の企画は

「男たちの大和」と「戰艦大和」徹底というか一部比較!(今考えた)

もしかしたら語って行くうちに「男たち」のいいところも見つかるかもしれない(笑)
ということで、あまり偏見を持たずに粛々と比較をしていきたいと思います。

<原作>
誰の目を通して、映画という媒体で大和を語っているか、ということでもあると思うのですが、

「戰艦大和」は吉田満の小説「戦艦大和ノ最後」
吉田氏は若手士官として実際に大和に乗りこんでおり、
大和沈没時には駆逐艦「冬月」に救助された生還者です。
主人公といった役割の「吉村少尉」が、吉田氏をモデルにされて、
物語は吉村の独白と共に、吉村の見た戦艦大和の最後という形で進められます。

「男たちの大和」は、それが題名でもある辺見じゅん氏のノンフィクション。
戦後世代で、女性でもある作者が、生存者の証言聴きとりをまとめ上げたものです。

もうすでに、このあたりから両者の立ち位置というか語り口が、
全く別の次元になってしまっていることにご注意ください。

<主人公>
前者が、吉村少尉(吉田満)がそのまわりに起こったことを述べる視点なのに対し、
後者は、たくさんの聴きとり対象者の体験をまんべんなく語ることを目的にしており、
創作された架空の人物に、実際の証言にみられたエピソードを間配る、というもの。
かなりの変更がなされているので、原作をイメージして観た場合、混乱させられるという話も。

その中心的人物は、「戰艦」が士官、「男たち」が下士官と水兵
「男たち」は、インタビュー対象者が圧倒的に下士官兵が多かったらしく、
自然とこうなってしまったようです。
主人公は、特別年少兵の神尾一水
生き残った老神尾が往時を語る、という形でドラマは進められます。


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<舞台>
「戰艦」は、ほとんどが大和の中に終始。
巡検の様子や、吊り床などのほか、大和の日常は士官室が多い。

「男たち」は、現代の人物と大和のかかわりから説明しなくてはならず、ただでさえ、
主人公の故郷やら幼馴染との何やかややら、描くことが多いので、大和の中のシーンは、
「舷門」「炊事場」「砲座」「士官室」「下士官の罰直コーナー」
が、ほんの少しずつ登場します。

先発の「戰艦大和」の表現を、どうしても意識せざるを得なかったと見えて、
「男たち」では、「戰艦」とのバッティングを避け、
「デッキ磨き」「海軍体操」など、「戰艦」とは違うシーンを盛り込んでいます。

「男たち」は前の項でも書いたように、25ミリ対空銃座が主な舞台。
実物大の模型セットを作ってしまったので、それを使わないと勿体ないとばかり、
戦闘シーン、訓練シーン、あの広い大和艦上の、ここばかりが画面に登場。
「男たちの大和」あらため「男たちの対空銃座」という方がふさわしい展開になっています。
「戰艦」のほうは、艦橋基部と、高角砲が実物大の屋外セットで作られたそうです。

「戰艦」が、機銃、高角砲、主砲が最後まで沈黙せず撃ち続けたという表現をしており、
各部署配属の士官たちを追う関係で、まんべんなく各配置の戦闘を語っているのに対し、
「男たち」はあくまで銃座優先。 (高角砲の持ち場が一瞬映りますが) 
神尾はじめ配置員は、最後の瞬間まで銃座を離れず敵機を攻撃し続けます。

<大和の最後>
「戰艦大和」は左に傾斜した大和が完全に転覆、大爆発を起こす様子を描写しています。
お金もなく、当時の稚拙な技術で、涙ぐましいほど史実に忠実であろうとするその姿勢に、
大和そのものにに対する愛を感じます。
模型まる分かりですが。

「男たち」の大和の最後は、左に傾いた大和の全体像が一瞬現れ、艦橋の皆の姿勢などから、
注意して見れば左に傾いていることがわかります。
(注意して観なければ勿論気付きません)
さらに、爆発も、爆発光と衝撃音だけで表現され、カメラが引くとすでに大和は沈んで、
爆発のあとの黒煙を噴き出しているシーン。
現代の技術を駆使していますから、このあたりは比べ物になりません。

<乗組員の人間模様>
「戰艦」は、いずれ死ぬ運命だからと婚約を破棄し、婚約者に「別の男性と幸せになれ」という
乗り組み士官の別れのシーンだけが唯一の「からみ」。
いつも妹の写真を恋人だと言いながら見せていた士官も戦死しますが、最後のシーンで、
その妹が兄の死を知らず手紙を読みながらはしゃいだりします。

軍医長の若い妻は、夫の帰りを待つ自宅で衣替えの真っ最中。
大切にたたんだ第一種軍装を夫が着ることは永遠にない、
ということを夢にも思わない幼な妻の姿に皆が涙をそそる、という演出。

「戰艦」の「親しいものも誰一人大和の死を知ることがない」という表現方法に対し、
「男たち」はご存じのとおり。

ここが、わたしがこの映画に良い点を上げられないポイントなんですよ。
乗組員と彼らにまつわる人々とのかかわり、これが実はつまり「男たち」のテーマですから、
主人公の神尾、内田、森脇はもちろん、脇役の西、唐木、常田(一水)、全員のエピソードが
複雑な家庭事情も含め、細々と描写されるわけです。


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しかし、不思議なのは、乗員はともかくとして、最後の上陸をしたとき、
家族やら恋人やらが、全員「大和は死にに行く」って知っているんですよ。

神尾の幼馴染が「大和は沖縄にいくんやろ?かッちゃんも死ぬるんか?」
内田のなじみ芸者も「あんた、沖縄に行くつもり?」

お嬢さん、お姐さん方、ちょっと待った。

沖縄特攻は極秘行動。
大和に限らず、軍人には軍の作戦や行き先について何人たりとも口外してはいけない、
という軍機守秘義務があったはず。

なぜ二人とも死にに行くどころか、大和の行き先まで知っているんです?


<有賀艦長>

二つの映画で、この有賀艦長の最後の描き方は違います。

「戰艦」・・・部下に命じて羅針儀に体を縛りつけさせ、艦と共に沈む。
    「お供します」という部下に「生きて日本を造れ」と諭す。
「男たち」・・・指揮所に上がって戦闘を続けている間に、負傷し、沈没時羅針儀にしがみつく。
    周りの乗組員は全員戦死している。最後まで「総員離艦」を叫び続ける。

まさに巷間伝えられる有賀艦長の最後の姿はこの二通り。
前者は「戰艦大和ノ最後」から取られていますが、吉田氏はこれを見たわけではありません。
吉田著書中には、噂や未確認情報等、出版直後から抗議を受けたものも含め、
史実ではないことが含まれているそうですが、だからこそ「小説」と断っているわけで・・。

いくつかの証言によると、鉄兜を被り白手袋をした有賀艦長が羅針儀を握りしめていたこと、
そして第一艦橋まで降りてきてその後姿を消したことなどが伝わっています。
「男たち」の有賀艦長(奥田瑛二)は、こちらの説にそった最後を遂げています。

ところで本日画像に何の説明もないまま最後まで引っ張ってしまいましたが、
<臼渕磐大尉>
画像は、大和ミュージアムに展示されている臼渕大尉の肖像です。

今まで、臼渕大尉が映画に登場したのは二回。
まさにこの二つの映画であったわけですが、ちょっと、これどう思います?

伊沢一郎、41歳。
長嶋一茂、39歳。

いずれも、映画上で臼渕大尉を演じた俳優のその当時の年齢なんですが、
臼渕大尉が大和特攻時何歳であったかというと、

21歳

ですよ?
なんでそろいもそろって年齢が実際のダブルスコアな二人を使うかな。
昭和20年ころ、士官は兵学校を3年で卒業し、卒業後もあっという間に進級しましたから、
昔は年齢的にまだ少尉候補生であったはずの海兵70期はすでに大尉。

長嶋一茂の方は妙に若く見えるので、見た目30歳くらいかな?って感じでしたが、
この伊沢さんが・・・・。
どう見ても41歳以上でも以下でもない臼渕大尉で、本日画像の、
まだ幼さの残る、眉目秀麗白皙の秀才の面影、まったくなし。
一茂も、こちらはどこをどう見ても秀才に見えないし(←失礼?)。

臼渕大尉問題に関しては、どちらの映画にもダメ出しさせていただきたい。

そしてそう考えてみると、ガンルームで言いあいをしているガンルーム士官も、
「男たち」の方はどう見てもおじさんばっかり。
臼渕大尉よりも階級が下ってことは、士官、予備士官共に全員20歳そこらであったはずなのに。


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「戰艦」の方は無名の丹波哲郎が少尉役で顔を出しています。
このとき丹波はすでに29歳なので、これも少尉にしては老け過ぎです。
(遅咲きの新人だったんですね、丹波さんって)
しかも、大和で最年少だった73期の海兵卒士官はこの直前中尉に昇進していたので、
つまり「少尉」は大和に乗っていなかったわけ。
吉田満はこのことも知っていたと思うのですが・・・・。

どちらの映画でも臼渕大尉は、吉田本に著される通り、士官と予備士官の間の争いを止め、
「日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか」ということを言いますが、
「男たち」で使用されたこの場面に対して、吉田氏の遺族が「エピソードの無断借用だ」
とする抗議をしたとかしないとかの話を、どこかで読みました。

実はこのセリフは、吉田氏が「大和乗員の想い」を代表して臼渕大尉に言わせた、
つまり、結局「吉田氏の創作」ではないかとの説もあるそうです。

あらら。・・・・ってことは、創作物の無断借用、ってことになるのかしら。

「戰艦」で教導を務めた大和副官、能村大佐の役をするのが、藤田進
役名も能村大佐で、この映画でのもう一人の主人公でもあります。
能村大佐が実際に体験したことも盛り込まれており、沈没後、
浮遊物につかまって漂う乗員の中で、この能村大佐が大声で「生存者は姓名申告!」
と叫んでいるところに、米軍機の機銃掃射が襲ってくる様子も描かれていました。


<敵愾心>

敵に対する気持ち、例えば米英撃滅やら本土攻撃の敵やらのセリフはどちらも全く無し。
そもそも反戦目的に作ったと監督が公言している「男たち」は勿論、「戰艦」の方も、
戦いに赴く個人、死ににゆく大和に焦点があり、そこに「敵」は見えません。

「男たち」敵愾心に燃えて狂ったように銃座に座り続ける乗員が描かれていますが、
何に対して、という感じではなく、まるで「自然災害」と戦ってでもいるような粛々とした様子。
これは実際に戦争を経験した方たちが、不思議と「米英を憎む」というより
漠然とした敵、まさに災害としか言いようのない大きなものと戦っているようだったと、
一様に言っていることにも通じる気がします。

(勿論沖縄や、原子爆弾の投下された広島や長崎の被災者は除きます)


<描きたかったもの>

「戰艦大和」が大和とその最後を描きたかった、というのは万人の認めるところ。
では「男たち」は?
これはどう見ても「大和に乗っていた人間のドラマ」でしょう。

後者において、人間ドラマを優先したため省略された「大和ならではの逸話」があります。

菊水作戦発令の際、第二艦隊司令伊藤整一中将の命令で、
少尉候補生、傷病者、古残兵が艦隊から降ろされました。
実戦経験も配置もない、実質足手まといになりかねない候補生はともかく、
「大和の主」を自任していたある古残の下士官兵は、直接有賀艦長に談判に乗りこみ、
抵抗するも、結果的に説得されて涙ながらに艦を降りたそうです。

「戰艦」では、この様子がこのように描かれます。

艦を降りる古残兵に少尉が
「おやじのような年齢のお前に命令するようなことになったが、これも軍隊だ、許せ」
といい、言われた老兵が涙をこらえ、
「武運長久をお祈りします」と答える・・・。

これですよ。
こういうシーンを描いてこそ、戦争映画なの!


今回、この項を書くためにどちらの映画もじっくり観直してみたのですが、
「男たち」が映画として感動的であればあるほど、
「死なんといて!」やら「俺だって死ぬのは怖い」やら、「帰ってきたらお嫁さんにして!」やら、
戦争そのものでなく、それをまるで「災害」として捉えているかのような表現が多ければ多いほど、
「こんなもん、戦争映画じゃないやい!」
と反発してしまう自分がいる・・・。

「真珠湾からの帰還 捕虜第一号と呼ばれて」(でした?)というNHKのドラマに感じたように、
戦争そのものを、その通りに描くことと、
感動的なドラマを描いて感情的に反戦を訴えることを
、混同しないでいただきたい!

つまり、このテの映像創作物全てに対する不満が、結局確認できる結果に終わりました。

それから、もうひとつ。
<軍艦行進曲が劇中で使われたかどうか>。
これだけで、わたしは「戰艦大和」を評価したいです。音楽は芥川也寸志。


<結論>

最近の戦争映画って、どうして必ず「現代」とオーバーラップさせるんでしょうか。

もともと重傷でさらに戦闘で負傷した内田兵曹がなぜか生きていて、戦後養女をもらい、
その娘が父の死後、偶然出遭った神尾一水と一緒に、大和沈没地点で骨撒き。

この展開、ご都合主義も度が過ぎませんか?
だいたいもし生きていたなら、内田兵曹、絶対戦後神尾に連絡を取りませんか?
あらためて思うんですが「男たちの大和」の現代部分って、本筋に必要ですか?
無理して現代部分を創って、ほころびも出るし、全体が薄い感じは否めないし。
つまり、脚本が○○。(←適当な二文字を略)

「戰艦大和ノ最後」は戦後すぐ書かれましたがGHQの検閲に遭い、1952年に出版されました。
映画はそのわずか一年後、1953年に公開されています。
米国艦を撮影に貸し出そうという話もあったそうですが、「菊の御紋」をつけたいと言ったら
米側はつむじを曲げて話はなくなった、というくらい、まだ何かとピリピリしていた頃です。

しかし資料も情報も資金も限られた状況下で、この入魂ぶりは驚くべきだと思います。
稚拙な模型の戦闘シーンや、考証の甘さ、役者の演技の稚拙さもさほど気にならない
「現実を超えた映画」と言えましょう。

<各映画を一言で>
 
「戰艦大和」・・・大和に対する愛が、全てを超えた名作。
いわば愛国無罪、じゃなくて愛大和無罪映画。

「男たちの大和」・・歳をとって、海軍式の敬礼もきれいさっぱり忘れてしまうような
ボケた神尾一水の老後の描写などいらないから、その分「戦艦大和」を描くことに
専念していただきたかったと思います。

一言になってない

 



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